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「完璧を求めない」4人の子育てと選手生活から学んだこと

3年連続得点王、J1歴代最多得点記録など、Jリーグでさまざまな記録を打ち立て、2021年に現役を引退した大久保嘉人さん。サッカーに限らず活躍の幅を広げています。現役時代の経験、4男の父として奮闘する子育てへの想いをうかがいました。
(※本インタビューは情報誌「じどうかん」2022秋号に掲載されています)


偶然が拓いたサッカー選手への道



子どもの頃の僕は、サッカーや野球、鬼ごっこやカブトムシ採りをして、お腹がすくと家に帰るような毎日。やんちゃで、親に心配をかけながら育ちました。

サッカーと出会ったのは、小1の頃。当時の僕は知らない子の中に進んで入っていくようなタイプではなかったのですが、河川敷で練習をしていたのを見かけて体験へ行きました。でも、その時は全然楽しくなかったんです。でも、ボールを全然蹴れなくてすぐ辞めてしまいました。転機が訪れたのは小3の頃。チームに所属していたクラスメイトに「嘉人、もう一回来いよ」と誘われたんです。「俺、蹴れなかったからもういいよ」と返事をしたら「大丈夫だよ」と。行ってみたら蹴れて。そのまま入団しました。

親からの条件は「6年生まで続けること」。それまで合気道やソフトボールをやったものの、すぐに飽きてやめてしまう子で、「自分で決めて入ったんだからもうやめるなよ」と約束したんです。親もサッカーに詳しくなくて、ルール本を買って一緒に読むところから始めてくれました。正直、「サッカーやめたい」と思ったことはあります。指導が厳しい、遊びを中断して練習に行くのが嫌で。でも「6年までやめるな」って約束したと思い直し、6年生まで、6年生までと続けていたんです。

そんな時にJリーグが開幕。テレビゲームなど夢中になってたことに目もくれず、サッカーに熱中しました。それが「サッカー選手になりたい」と明確な目標ができた瞬間。Jリーグが開幕してなかったら、そのままサッカーをやめていたかもしれません。


子どもの味方でいられる父親に


現在、子どもは4人。全員男の子で、毎日耳をふさぎたくなるほど賑やかです(笑)。公園で遊んだり、テレビゲームをしたり、公共の体育館に行き、バスケやバドミントン、卓球で遊ぶこともあります。高校生の長男とは、互角の戦いになってきましたね。

でも、一番の遊びはやっぱりサッカーです。みんな「プロサッカー選手になりたい」と言っています。ただ僕は、サッカーの指導はしていません。自分が親に口出しされたくなかったという記憶が強く残っていて。それに、今できなくても体が大きくなればできるようになることもある。練習を続ければ上手くなれるので、まずは「楽しい」と思い続けられる気持ちを育むようにしています。

子どもたちには、のびのび好きなことをやってほしい。常に子どもたちの味方でいられるように一緒に遊び、同じ目線でいることを心がけてます。その分、しつけの面は妻に任せてしまっています。子どもたちが妻に文句を言うときに結託して「そうだよね、パパ!」と巻き込んでくるので、最終的には僕も一緒になって叱られたりしていますね(笑)。

セレッソ大阪へ移籍が決まった2021年、9歳だった三男が「一緒に行く」と言いました。決意が固かったので連れて行ったんですよね。チームのみんなは「よく連れてきたな」と驚いていました。僕自身、サッカーの強豪校に入るために12
歳で親元を離れ下宿し、そこでたくさんの経験をさせてもらっていて。三男にも成長につながる経験をさせられると思ったんです。でも実際は、自分の親としての学びの方が圧倒的に多かった。家事だけでなく、小学校からの連絡や宿題のチェックなど、今まで見えてなかった「子育て」が見えたんです。そのとき感じたのは、サッカーだけやってきた自分がどれだけ恵まれていたか、楽をさせてもらっていたかということでした。

大阪での二人暮らしは約11か月間。何もできない、言われてもしない子だったのに、帰ってきた時に身の回りのことをやるようになっていました。汚れた靴下を自分で漬け置き洗いするようになったのには夫婦で驚きましたね。大阪での暮らしは色濃い日々でした。彼にとっても、忘れない11か月になっていれば嬉しいです。


根底にあるのは見えないものを見たい想い


僕のモットーの1つに、「完璧を求めすぎないこと」があります。もし完璧を求めていたら、三男の大阪行きに「無理だよ」と言ったと思うんです。そのときに「なんとかなる」と思えたことで、一歩を踏み出せた。ご飯を作ったこともなかったのですが、「食べられたらいい」「無理なときは出前で」と思っていました。サッカーも同じで、完璧を求めるとできなかった自分を責めてメンタルが落ちていくんですよね。どんな人でも失敗やミスはする。割り切ることで、次はもっといい成果を上げられるんです。そうやって、僕は今しかできない子育てを楽しんでいます。

僕は、サッカー選手として11回の移籍をしています。多いですよね(笑)。同じ環境に慣れると、力を発揮できなくなる性分で、移籍することで自分を高めてきました。きっと、見えていないものを見たい気持ちが人一倍強いんだと思います。川崎フロンターレにいたとき。3年連続の得点王として安泰なわけです。けど、それじゃ面白くない。他のチームでやり方を変えていくことで、自分に足りないものが見えてくる。そこに楽しさがあります。

僕は20年、サッカーしかしてきませんでした。今後は、テレビやラジオをはじめ、今まで経験したことのない仕事にチャレンジするつもりです。見えていなかったものを見られることに、今からワクワクしています。故郷の福岡と長崎では、子ども向けサッカースクールのプロデュースも行っています。子どもの自信につながる芽を見つけてほめて伸ばす。自信をつけた子どもには、無限大の伸びしろしかないので!児童館の皆さんも子どもと一緒に楽しみながら、伸びしろを育てていけたらいいですね。


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<プロフィール>
おおくぼ よしと
1982年6月9日生まれ。福岡県出身。2001年セレッソ大阪を皮切りにスペイン、ドイツなど国内外のリーグで活躍。川崎フロンターレ在籍時の2013~2015年、史上初の3年連続得点王に輝く。日本代表としてアテネ五輪、FIFA W 杯南アフリカ大会、同ブラジル大会などに出場。2021シーズンをもって現役を引退。引退後はテレビやラジオなど、サッカーに限らず新たな挑戦を続ける。著書に「情熱を貫く 亡き父との、不屈のサッカー人生」「俺は主夫。職業現役Jリーガー」。4男の父。

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